USCPAを取得したり、大学で会計学を学んだりした有名人

最終更新日 2024年4月20日

「USCPA資格を持っている有名人が知りたい」
「USCPAの資格取得を考えている」
「USCPA資格を取るメリットが知りたい」

日本の公認会計士資格よりも取得しやすく、英語力の証明にもなるUSCPAがビジネス界で注目されています。
米国では資格を持たないまま企業に入り、社会人になってから会計士の資格を取得する人が多いです。
そのためUSCPAを持っている有名人も多くいます。

【検証】フリーランスに有利なJavaScript

USCPA試験の申込窓口は全米50州と準州に分かれており、州によって受験資格(学歴要件)が異なっています。
USCPA受験資格

USCPA資格を持っている有名人

ボブ・ニューハート

まず1人目は俳優でコメディアンのボブ・ニューハートです。
ニューハートはおどけたユーモアのセンスを持った人物であり、何十年もの間ファンを楽しませてきました。
自作のテレビ番組などで活躍する以前は、石膏会社の大手で会計士として働き、会計士の資格も取得しています。
ニューハートは1952年にシカゴ・ロヨラ大学の商学部を卒業しました。
その後、軍隊に入るなどしたあとで企業の経理部門を担当しました。
しかし仕事内容には不満があったようで会計士として働きながら、ラジオで寸劇を書いたり演じたりするようになります。
シカゴの劇団ストックカンパニーにも出演しました。
1960年に作品をリリースして大ブレイクしグラミー賞の最優秀コメディ・パフォーマンス賞と最優秀新人賞を受賞しましたし、レコードチャートで1位を獲得した最初のコメディ・アルバムとなりました。
日本でもユーモアのセンスがないと思われる会計士だけに意外に思われます。

チャック・リデル

2人目も会計と縁のなさそうな人物、総合格闘家のチャック・リデルです。
リデルは12歳の時に空手を始め、高校時代はレスリングとアメリカン・フットボールで活躍します。
大学時代にプロレスをして卒業後にキックボクシングデビューします。
ここまで聞くととにかくスポーツ中心の生活をしてきた人物に思えますが、知的な人物でもあります。
名門カリフォルニア工科大学を卒業し、USCPAも取得しているようです。
現役時代は冷静に戦略を遂行する姿から、ジ・アイスマンの異名を取りました。
UFC黎明期の看板選手であり、UFCをメジャーに押し上げた功労者であります。
ファイトスタイルは豪快な打撃で相手にダメージを与え続けるもので、ライトヘビー級王座を4度防衛しました。
モヒカンヘアーに口髭がトレードマークです。
2007年の王座陥落後も戦いを続けましたが、2010年に引退を発表します。
2018年に現役復帰戦を行いましたが、あくまでも限定的な試合のようです。

ケニー・G

3人目はジャズサックス奏者のケニー・Gです。
1956年生まれワシントン州シアトル出身のケニーは、子供の頃から母親に与えられたサックスを演奏します。
10代のうちから才能を評価され、17歳にしてプロ活動を開始しました。
名門ワシントン大学在学中も、音楽活動をしました。
大学では会計学や経営学を学びました。
世界的な音楽家としての名声を獲得するのは1982年にソロ・デビューしてからです。
多数のソロ・アルバムを発売すると共に、ホイットニー・ヒューストンやアレサ・フランクリンなど多くのアーティストとの共作を発表しました。
彼の演奏するスムーズジャズは、ジャズに馴染みのない人でも楽しめ称賛と批判、両方の声を集めます。
世界的な音楽家としての評価は続き、1994年に第36回グラミー賞で最優秀インストゥルメンタル作曲賞を受賞しました。
循環呼吸をマスターした自分として有名であり、30分以上にわたって音を出し続けることが可能です。
長いカーリーヘアーがトレードマークです。

ギビー・ヘインズ

4人目はギビー・ヘインズというバンドのリード・ヴォーカルです。
バンドはPというオルタナティブ・バンドであり、ジョニー・デップがギターとベースを演奏していたことで有名です。
ヘインズは音楽の道に進む前に、会計士として有望なキャリアを積んでいました。
テキサス州のトリニティ大学で会計学を専攻し、アカウンティング・スチューデント・オブ・ザ・イヤーに選ばれたこともあります。
そしてこの地域で最も権威のある会計事務所の一つであるピート・マーウィック社に就職しました。

JPモルガン

5人目は伝説の銀行家・JPモルガンです。
1837年にコネチカット州で生まれたモルガンは、大学教育を早期に終了し、1857年に父の経営する銀行で働き始めます。
多くの企業で働き起業にも携わります。
1895年に独立し、現在のJPモルガン・チェースにも続くJPモルガン&カンパニーを設立します。
彼の会社の資産は、時を経て何十億ドルもの価値に成長した。
米国の5大財閥のひとつにまで成長したのは、鉄道や鉄鋼などの事業に進出したからです。
原動力は豊富な資金であり、鉄道事業を経営してUSスチールも設立しました。
さらには海運や電力、通信にも進出し、19世紀末か1913年の死去まで米国の政財界で大きな影響力を持ちました。
野心家のイメージが強いモルガンですが、成功の基礎には数学や会計の知識があったようです。
銀行家の父に英才教育を施されていましたし、数学教育の充実したハイスクールに入れられました。
10代の後半には投資に興味を持ち自ら勉強したそうです。