雛人形を飾る理由について

最終更新日 2024年4月20日

○雛人形を飾る風習について

日本では3月3日に雛人形を飾る風習があります。
3月3日は桃の節句や雛の節句などと呼ばれています。

正式には上巳の節句とされる日です。
この上司の節句というのは平安時代の時点で既に行われていたとされ、当時はひとがたを体で撫でて穢れをうつして海や川などに流していたそうです。

この時に用いられていたひとがたは草や紙などを人の形に作ったものであり、現在の雛人形とは少し異なっています。
子供たちについたとされる穢れをひとがたに移すという、方法で子供の健康を願っていたそのことです。

つまり、ひとがたというのは子どもたちの穢れを請け負う身代わりのような存在でした。
それと同じ時期に平安貴族の女の子たちはひとがたを使ったおままごとをしていました。

その遊びのことは「ひいな遊び」と呼んでいたとされています。
「ひいな」という言葉には「小さくてかわいいもの」という意味があります。

そのことが重なっていくことでひとがたを流すことを「ながしひな」と呼ぶようになったそうです。
ただ、今のようなひな祭りの形式になるのはまだまだ先のことになります。

○ひな祭りが全国的に広まるきっかけは?

江戸時代になってくるとひとがたを作る技術が進歩し、人形という形になっていきました。
するとだんだん人形を川に流すことがもったいないと思われ始めることになりました。

そこで人形を飾る文化が生まれました。
これが現代のひな祭りの始まりとされています。

しかし、あくまで江戸の文化であり全国に広まるには至っていませんでした。
ひな祭りが全国的に広まるきっかけを作ったのは1629年のことです。

1629年に京都御所にて盛大なひな祭りが開催されました。
ここから江戸幕府などでも催されるようになり、徐々に広まっていったのです。
元々は雛人形をかざることによって女の子の不幸を身代わりとして受けてもらうことに由来していました。

○雛人形の処分に関して

そんな歴史を持つ雛人形ですが、様々な事情があって止む無く処分されることもあります。
しかし、その大きさや内容から捨てるのが大変と思われることもあるかもしれません。

そもそも人形を捨てることに抵抗があるという方は決して少なくありません。
そこで1つの方法としてあるのが神社やお寺にて供養してもらうということです。

人形には人の念がこもっていて魂が宿っていると考える方も多いです。
特にひな人形の場合は特に女の子の健やかな成長のために飾るものですので、気軽に捨てることは出来ないというのも自然な感情だと考えられます。

そのため、神社やお寺で供養してもらうという方法があります。
神社やお寺にお問い合わせを行うことで場合によっては郵送で受け付ける仕組みもあるそうです。

出典:雛人形の処分方法|時期はいつ?無料の捨て方・神社での供養も

○楽曲「うれしいひなまつり」の誤りとは?

ひな祭りが一層一般化した背景にはサトウハチローが作詞、河村光陽が作曲した「うれしいひなまつり」があります。
現代においてもひな祭りの時期になるといたるところでこの曲を聴くことになるほど、日本を代表する童謡となっています。

しかし、この曲には誤りがあります。
この曲では男雛をお内裏様、女雛をお雛様と呼んでいますが、実際には内裏雛自体が男雛と女雛を指す言葉となっています。

この誤りの影響は大きく、誤解して覚えている方は少なくありません。
ところが、そのような誤りがあるにせよ、その独特の曲調とキャッチ―な歌詞から高い知名度となっています。

○雛人形の並べ方

人形の並びとしてはまず内裏雛を並べるのが一般的です。
この内裏雛は天皇と皇后両陛下を表しているとされています。

これは内裏という言葉が天皇が住んでおられる場所を指していたこととも一致します。
その次に並べる3人の女性は3人官女と呼ばれます。

この女性たちは宮中に使える女官を表しています。
その次に並べる5人の雛は楽器を持っています。

能のお囃子を奏でて盛り上げているとされます。
ここまでが一般的な雛人形ですが、大きなひな壇では他の役職が追加されます。

追加される役職としては随身、衛士、三歌人などがあります。
ひな祭りが終わっても雛人形を片付けないでいくと結婚するのが遅れるという迷信が広まっています。
もちろん、そのようなことはありませんが、人形の保存を確実に行うために噂が広まったとされます。

○かつては等身大の人形が作られたこともあった

今では小さなサイズのものが一般的ですが、かつては等身大の人形が作られたこともあったそうです。
今の素材でそのようなことをすると莫大な費用がかかります。

かつては簡単に作られたものが多かったのでそんなサイズで作ることが出来ていたと考えられます。
現在においても非常に高額なものから、簡単に作った安価なものまで様々です。

桃の節句であるため、桃の花を飾るケースもあります。
そもそも日本では奇数を陽、偶数を陰と呼ぶ文化がありました。

そのうち、陽の方を良しとする文化があったので1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日の節句が今でも祝われています。
1月の節句が1日でないのは元日と区別するからと考えられます。
七草がゆを食べる文化が今も継承されています。